不動産投資【コロナ後どうなるのやら。分からないのが正解かもしれません】

こんにちは。大賀信幸です。すべては観察から始まる。

不動産投資 コロナ後

今はコロナ中です。悪いことだけではないような気もします。僕は業界の新聞にエッセイをもう12年も記載しているのですが、先日も同じようなテーマで記事書きました。以下転用します。

狂気の沙汰

何となくおかしいなぁって思うものあります。なぜだか分からないけれどもおかしい。きっかけがあればそのこっけいさは浮き彫りにされます。

例えば、単身赴任

誰がどう考えてもおかしい。不自然、不経済、狂気の沙汰です。僕の友人が単身赴任を断って辛い目に合い、結局大企業を退社しました。しかしこの判断は正しかったと思います。今更ながら、単身赴任拒絶で裁判起こせば原告が勝訴するような気がします。しかし今どき裁判で勝ってもその後の会社員人生では出世はないでしょう。悲しい現実です。

例えば、満員電車

偶然電車に乗ろうとしてその電車が満員であれば仕方がない。日常ではないのですから。しかし毎日の通勤通学の満員電車はおかしいなぁと思います。分かってるねんから、出社時刻を変更したら良いのにね。

例えば、社歌

国歌は認めます。オリンピックで勝利者が唄う国歌って納得できます。校歌も納得できます。甲子園で勝利した高校生が唄うのが校歌。一昔前ではPL学園の校歌覚えている奴いました。なぜだか今どき社歌を毎朝唄っている会社あります。何だかなぁと思うのは僕だけではないはず。国歌や校歌は納得できるのに、社歌は納得出来ないのはなぜなのか。僕思うに、社歌には奴隷感が出るからではないのかなぁ。何だか社歌唄っている大人、あ、間違えた社歌唄わされている大人って切なく思えます。忖度の極みに見えます。

僕、動物園と水族館にはよく行きます。どういう訳か動物園の動物は切なくみえます。水族館の魚は楽しく泳いでいるようにみえます。この差は何なのか。自由度の違いではないのかと結論しました。檻に囲まれて過ごしている動物より、狭いとはいえ水の中の方が、多少自由度があるような気がします。

単身赴任を動物園と感じます。檻に閉じ込められた一匹。満員電車を動物園と感じます。まったく自由がない空間。身動きすら取れない。

社歌って檻に囲まれている訳ではないけれども、なぜだか不自由に感じます。きっと社歌を唄っている大人の心が檻に囲まれているからです。切ないなぁ。

コロナ禍の2021年の今、単身赴任も満員電車も社歌も遠い昔のように思えます。とするならコロナのお陰で少しは人間らしくそれぞれの生活が自然に戻ったかもしれません。

で、どうしたの

今はコロナまだ終わっていません。これからどうなることやらです。しかし何となく方向性が出てきたような気がします。

自然に生きるような時代になる感じです。外出するよりも家族で過ごす。派手な生活よりも自然と暮らす。現実に僕の廻りの何人かは、農作業を楽しんでいます。土を触る仕事です。いつも真っ黒に日焼けしてます。

都心のタワーマンションをやめて郊外で少し広めの家で過ごす。郊外で少し広めの家を建てる。

で、どうするの

コロナ後は、僕不安です。今までの価値観が通用しなくなるかもです。そのときはどうするか。海に出るのに海図がない状態です。

海なら海図がなくても星を読んで方位を求めます。現在地を求めます。同じように自然を観察し、人間本来の姿に近づくような判断をすれば、判断に大きなミスしないのではないかなんて考えています。

まとめ

コロナ後、僕不安です。しかしコロナのおかげで今までの価値観を再度見直す機会を得ました。自然を見習うような観察をすれば何とか生き残れるように思います。