こんにちは。大賀信幸です。すべては観察から始まる。
不動産投資 返済後利回り
返済後の利回りを計算するのって僕、無意味のような気がするのです。
投資って未来を信じることであるとは思うのですが、その未来が分からないから皆、慎重になったり希望を持ったり希望をなくしたり、夢を持ったり持たなかったり。未来のこと分かる人なんていないと思います。
しかし中には天才がいます。例えば作家の星新一氏。SF作家です。生涯に1001編のショートショートを書きました。どちらかと言えば、現代に対しての警告や風刺を感じることが出来きます。核弊害のことも、Googleのような会社の出現も作品の中に登場していました。
今では誰でも当たり前にしているスマートフォン。これ、登場したのが2007年です。日本に入ってきたのが2008年。この前後にフェイスブックやTwitterで出てきました。日本ではミクシイが流行りだしました。LINEの登場が2011年ぐらいです。
それまでは皆携帯電話で話をしていたんですよ。喫茶店でも電車に乗っても、携帯電話でしたよ。で、携帯電話の公共でのマナーが社会問題になっていました。ここらへんから携帯メールが日常になってきましたね。
身近な処では、2011年3月11日の東日本大震災。僕この現場に行きました。現地で仕事をしていましたが、通信手段は携帯電話でしたよ。今のようにLINEやメッセンジャーがあればもっとスムーズに連絡が取り合えたと思います。
例えば、10年前には今の時代を予見できた人がどれだけいたのか。もし予見できているなら、予見出来ているひとは大成功者になっているのでしょう。
もっと身近な例では、2年前誰がこの感染症を予見できたのでしょう。感染症が流行る可能性を警告していた人たちはいました。例えばビル・ゲイツは数年前のYou Tube映像で残っています。しかし、これは地震そのうちくるでと同じレベルだと思うのです。地震きてからほら地震きたやろってね。後付では何とでも言えます。
少なくとも、いつ地震がくるのか。いつ感染症が流行るのか。地震きたあとはどうなるのか。感染症が流行れば流行っているときはどうなるのか。流行ったあとはどうなるのか。
で、どうなるの
不動産投資で借り入れして不動産を購入する。返済期間が無事に終わる。やれやれ。今から不動産の家賃収入が全部自分のものになる。あこがれの状態。この状態を待っていた。
結果、店子も退去し購入した不動産は経年により、設備も古さが拭えず街の雰囲気も激変し過疎化が進すすむ。で二度と店子が入居することはなくなった。
こんなことが本当におきていますよ。ネットでニュータウン過疎化とか、ニュータウンスラム化とかの言葉で検索してみてください。全国でこのような状態が現実にあります。
で、どうしたの
僕未来は予見できないものと最初から割り切っています。予見できないから、日々の判断を慎重にしています。もし転んだとしても安全側に倒れるような感覚で過ごしています。
安全だけを言うのであれば、一番危険のないのは手元に現金を置いておくことかもしれません。しかし現状では、株価が激上がりしています。しかし物価はあまり上がっていません。不動産価格もあまり上がっていないのではないかなぁ。
大卒の初任給も1980年代では16万円ぐらい。今は20万円ぐらい。40年間も殆ど上がっていません。ものの値段も上がっていない印象があります。1980年代どこにご飯を食べに行ってもひとり5000円ぐらいしましたよ。それが今では3000円ぐらいか。もっと安価にご飯を食べることができます。超高級店は別にして、普段の生活では物価は上がっていない印象です。
職人の日当も1980年代では1万5000円ぐらい。今は2万円ぐらい。これも40年間では殆ど上がってないと判断しても良いでしょう。
とするなら、手元現金を現金のまま持っていても変化がないと言えます。かと言うて現金以外のものに交換するとそこにリスクのようなものが発生します。
で、どうするの
こんなの書き出すとますます悩みます。結論ですが、未来を信じて投資をしている訳ですが、未来は信じているけれども未来はどうなるのか分からない。ゆえに今、採算が合う不動産だけに投資をする。
まとめ
返済後利回りって、まったく意味がないような気がします。ま、表題ですから年間家賃収入の合計÷物件購入価格ですけれども。こんなの計算しても意味がないです。なぜなら未来は誰も分からないから。
それよりも、今採算が合う不動産にだけ投資をする考えにした方が現実的です。今、採算が合うということは毎月絶対にキャッシュフローがプラスになっています。そのプラスのキャッシュをつまり手元現金を手元に置いておくのです。この手元現金が未来の困難を乗り切る最大のリスクヘッジになるように僕は思います。
しかし、現金比率を高めると投資していることにならないので、ここの塩梅が難しい。