どうされましたか。
ボスになったが何かしなければ食えない。
こんにちは。大賀信幸です。すべては観察から始まる。
職人の日当相場を調べました。
起業 ボス 職人の日当を調べた
ボスになる言うてもですね。ボスになったとしても何かしなければ食えない。ま、当たり前ですが。で具体的に何をしようかと思案してました。
僕が出来ることを模索しました。僕はお金もないので何かを仕入れて売る発想ができませんでした。販売の仕方も分かりませんでした。僕高校生でしたから。今どきの高校生は会社起こしたりしてますけれども。これは才能の差です。
高校野球良いなぁと思って観てました。将来の目的があって甲子園目指してるとか。将来プロ野球選手なる言うて努力してるとか。
僕にそんな夢ありませんでした。僕に出来ることを探しました。あえて言うならものつくりは大好きです。これは今もかわらずです。しかし好きだからと言うてそれを職業に出来るものなのか。
果たして僕のものつくりの能力はどれぐらいなのか。例えば大工さん言うても修行するのに10年も20年も掛かると言われてます。一生修行やとも聞いたことあります。そんな厳しい世界に僕がもし入れたとしても果たして食えるものなのか。そんな厳しい修行してどれぐらいの日当で働いているのか。その日当で僕は生活出来るのか。
僕下町生まれ育ちですから廻りに大工、左官、タイル屋、木工の職人さんがいました。彼らの日当を調べることにしました。いきなり職人さんに日当聞くのも失礼かもしれないと思いました。見積もり依頼的に聞きました。
僕 見積もりしてもらうとして、日当いくらぐらいみてたら良いのですか。
職人 1万5000円やなぁ。
とかね。こんな聞き方しました。
で分かったことはですね
大工、左官、タイル屋、木工などの職人の日当はどの職人でも同じことが分かりました。僅かにタイル屋と左官が3000円ぐらい多いのは発見できました。この頃で職人の日当は1万5000円から1万8000円ぐらいでした。
今もあまり変わらず2万円ぐらいでしょう。参考までにwebデザイナーとかプログラマーとかイラストレーターとかライターとか今をときめく職業と言われる人の日当も同じく2万円ぐらいです。あと珍しい処としてはカメラマンとか。あ、ペンキ屋も同じぐらいです。ただガードマンだけは少し少なく1万2000円です。ここは技術の差なのでしょうね。
ボスになる言うてもですね。日当1万5000円で働いてですね。ボスになっても廻りの人間食わすことできません。独りよがりのボスになります。日当1万5000円で月に20日働いてもですね。30万円です。これでは僕が食えても廻りが食えません。
困ったなぁ
廻りは港湾地域ですので港や船が日常的に見えます。造船所もありました。ヨットハーバーもちらほら整備されつつありました。当然そこにはヨットやモーターボートが停泊してました。ヨットやモーターボートの数は少なくて業界もまだまだの時期でした。
この業界を観察しました。観察言うてもですね。缶コーヒー買って港でぼーっと舟観てる感じです。舟は女性名詞ですから美しい。特にヨットやモーターボートは美しい。
で、どうなるの
これらをつくってる人がいるはず。探しました。エンジン屋、電気屋、FRP屋、金物屋いろいろいました。エンジン屋言うてもですね。舟のエンジンだけを整備している業者さんです。電気屋さんは魚群探知機とか船舶用レーダーとかの整備までしてました。
船舶電話も取り付けていました。金物屋さんは舟に使う金物の特注をしてました。アルミは海水とは相性が良いことないようなので、ステンレスか鉄をドブ漬けの亜鉛メッキにしたものを扱っていました。
全体をデザインする役割の人いない。木工をする人いない。これは僕でも出来るのではないかと思いました。彼らの日当を調べてみました。す、するとですね。な、なんとまだ日当相場が出来ていないことを発見しました。これはチャンスではないのかと思いました。
で、どうしたの
で、日当相場がまだ出来ていないなら僕がつくってみたらどうなるのか。この頃大工の日当が1万5000円は先に記しました。で、僕は日当をこの大工の日当相場の4倍にしました。日当6万円。まったくの目見当で6万円にしてみました。はたしてこの日当で通るものなのか。
いろいろ調べるている過程で僕も高校を卒業しました。
大学に潜り込みました。仕事の真似事をしていました。僕に仕事をくれる親方もいました。
そうこういているうちに僕の廻りの友人達は俗に言う就職活動をはじめていました。
大学の学部で就職してないのは僕だけと先生言うてました。
こんなことあれこれしてました。缶コーヒー片手にヨットハーバーにしばらく通いました。日当相場は解決したとして僕に仕事って依頼されるものなのか。僕には何の実績もないし。
すると不思議なことが起こりました。
兄ちゃん若いのにぶらぶらしてたらあかんで。仕事する気あるか。と声掛けてくる人いました。
僕はモノつくり得意で大好きで、日当相場調べてて尚且ヨットやモーターボートつくりたいなぁと思ってるときに正にその業界の人が僕に声を掛けてくる奇跡が起こりました。
玉置さんと言います。玉置さんはその頃日本で一番ヨットやモーターボートを販売している会社の大阪の所長さんでした。嘘みたいはホントの話です。
で、玉置さん曰く、これからモーターボートつくる仕事増えてくると思う。お前つくってみないか。と嘘のようなホントの話がありました。
しかし今思い返しても不思議です。僕にものつくりが出来るかどうかも玉置さん知らないのにです。缶コーヒー片手に舟眺めてただけです。
で、玉置さん僕をヨットの中に招き入れました。ヨットの船内の一部に棚をつくれないかと言う。つくれます。と僕。こんなやり取りから始まりました。
で、僕その日からモーターボートつくる仕事はじめました
日当6万円くれました。この状態で半年ぐらい仕事してました。僕の能率も上がりました。仕事の段取りも良くなってきました。今まで1日かかってたものつくりの仕事が段取り良くなったお陰で半日ぐらいで出来るようになりました。するとですね。最初に決めた日当6万円では矛盾します。で、半年後から僕の日当12万円にしました。通りました。
で、どうするの
仕事する前にその仕事の将来性とかその仕事の現状とか世間からみたときの重要性とかを調べるのが良いように思います。
大工、左官、プログラマーやwebデザイナーは将来性がある仕事です。将来性と言うよりも今も未来も重要な仕事です。これは学校で習う訳でもなく何となく皆知っていることです。ゆえに優秀な人達が集まる。ゆえに過当競争になって日当相場が崩れています。
僕のモーターボートつくる仕事は将来性とか世間からみたときの重要性がないから大きな日当をもらえたような気がします。ほんとに重要で将来性があるのなら、この業界に多くの優秀な人達が参入します。すると日当相場が崩れます。ちょうど良い具合にバランスが取れていたのでしょう。
まとめ
毎日忙しくしてました。休みがないぐらい忙しくしてました。この状態が8年ぐらい続きました。
歳若くしてびっくりするぐらいのお金もらっていました。十二分にお金もらえるようになると不思議なもので仕事したくなくなるものですね。仕事するモチベーションが保てなくなりそうでした。
それを救ってくれたのは、あの清原桑田でした。もちろん会ったこともない2人ですが僕と同時期に社会に出て彼らはプロ野球選手。年俸の公開もあった時代です。最初の数年は彼らの年俸と僕の年収は僕の方が勝っていました。しかしすぐに抜かれました。ま、当たり前ですが。彼らをモチベーションにしてました。彼らがいたから僕は仕事を舐めずに出来ました。上には上がいます。謙虚にならざるを得ませんね。仕事する気持ちが復活してきました。
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